ばあちゃんの話

先週末、ばあちゃんが亡くなりました。
大正9年生まれ、享年97歳でした。

当時、片親だったこともあり、俺は夏休みや冬休みなど、長い休みは田舎で過ごした。
産まれは福島だけど、育ったのは神奈川なので、福島に帰っても友達と呼べるほどの仲良しもなくて、最初はいつも一緒に遊んでいたイトコ達や姉ちゃんらもオトナになるにつれ、なかなか来れなくなり、ばあちゃんにくっついて過ごす時間が増えて行った。

当時、民宿を営んでいたこともあり、泊まる部屋は沢山あったが、古い造りの静まりかえった宿は幼いタカシ少年がひとりで過ごすにはかなり恐怖だったこともその要因のひとつにあるけれど。笑

THE田舎!という感じだったから遊ぶもの(例えばコンピューターゲームとかは勿論無い!)と言えば自然しかなく、代わりに時間だけは膨大にあり、毎朝早くに起きては、ばあちゃんと散歩したり、山菜採りに出かけたりの日々、夕方買い出しに行くヨークベニマルは当時のタカシ少年には1番テンションが上がる場所だった気がする。笑

50歳で免許を取得し、晩年は孫らを猪苗代湖阿武隈洞に連れて行き、破天荒ながらそのワイルドさ(色々な珍伝説はまたいつか。笑)から二本松では有名だったばあちゃんも、じいちゃんが亡くなり、運転を辞めた頃から小さい背中が、またどんどん背中が小さくなった気がしたな。

それでも、常にみんなを愛し、みんなから信頼し愛され、厳しくも誰にでも優しかったスゴい人(今頃になり、せつにわかる!)だったばあちゃん、母ちゃんはばあちゃんの末っ子で、俺は母ちゃんの末っ子で1番下の孫だったぶん、とても可愛がってくれて、沢山の時間を一緒に過ごせてたんだね。

大往生だったこともあり、葬儀は悲しみよりも、ばあちゃんへの感謝の涙と笑顔が多かったことがその証だと思う‼︎
先週から今週に掛けて、ライヴもかなり入ってたのに、1本もキャンセルする事なく、無事にお見送りに行けたことも、ばあちゃんの計らいに感じたよ。

器から魂が離れることは、遠く離れることだと思ってたけど、何だか前よりも近くに感じてる。それは忘れない限り、消えることは無い、心ってスゴいよね。

ばあちゃん、ありがとう‼︎
じいちゃんにヨロシク‼︎
凸凹ではあるけれど、2人のおかげで俺は幸せな人生を歩めているよ*







長くなりましたが、読んでくれた皆様にも感謝です◎